まずは、門司港駅です。これは以前にも紹介しましたが、国の重要文化財として指定されています。完成し、使用されたのは1896年(明治24年)のことで現在の玉名まで鉄道が開通したのが始まりです。駅舎で重要文化財に指定されたのはここが始めてなんです。現在でも当時のいろいろな施設が今でも残っています。 改札を出たところには、「帰り水」といって大陸から復員してきた人がこの地に着いて、この水を飲んで一息を入れたという水道水です。
関門連絡船(明治34年5月に発足し、昭和39年の10月31日に廃止)の乗り場の跡などがあります。 今は、関門橋や国道トンネル、鉄道トンネルなどが次々に開通しまして当時の賑わいは想像できませんが、昭和16年では3隻の船が門司と下関を一日平均53往復して、2万4千人ほどの人の行き来があったそうです。 l 本日は休日ということもあってこの門司港レトロには多くの観光客が来ており、この一角では猿芝居などもやっていて見物人で大変な賑わいを見せていました。
旧門司三井倶楽部に行っていました。 lここは大正10年に三井物産門司支店の社交倶楽部として山手の谷町に建築され、翌11年にアインシュタイン博士夫妻も宿泊した由緒ある建物です。木造2階建てで内部はアールデコ調のモダンなデザインが見られ、大正ロマンの香りを今に伝えています。 l現在は北九州市が管理、所有し、大切に保存しています。なお、1階は食堂で立派なグランドピアノを聞きながら食事をすることができます。 lここも門司港駅と同様に平成2年の3月に国の重要文化財に指定されました。門司港に来る機会がありましたら、是非ここに立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
最後に訪れたのが旧大阪商船の建物です。 ここは文化庁の登録有形文化財に指定されています。今現在は北九州市の所有となっています。とてもモダンな外見です。屋根には8角形の塔屋が設けられており(これはデザインではなく当時は灯台の役目も果たしました)さらにレンガを部分的に配置していて、当時としては実にモダンな建物であったはず。 l今では「異国情緒にあふれた」と言えばぴったしくる感じの建物です。当時は大陸航路(主に中国)の出発地でもあり、ここ(待合室として利用された)から旅行する人々で賑わったことでしょう。
関門連絡船(明治34年5月に発足し、昭和39年の10月31日に廃止)の乗り場の跡などがあります。 今は、関門橋や国道トンネル、鉄道トンネルなどが次々に開通しまして当時の賑わいは想像できませんが、昭和16年では3隻の船が門司と下関を一日平均53往復して、2万4千人ほどの人の行き来があったそうです。 l 本日は休日ということもあってこの門司港レトロには多くの観光客が来ており、この一角では猿芝居などもやっていて見物人で大変な賑わいを見せていました。
旧門司三井倶楽部に行っていました。 lここは大正10年に三井物産門司支店の社交倶楽部として山手の谷町に建築され、翌11年にアインシュタイン博士夫妻も宿泊した由緒ある建物です。木造2階建てで内部はアールデコ調のモダンなデザインが見られ、大正ロマンの香りを今に伝えています。 l現在は北九州市が管理、所有し、大切に保存しています。なお、1階は食堂で立派なグランドピアノを聞きながら食事をすることができます。 lここも門司港駅と同様に平成2年の3月に国の重要文化財に指定されました。門司港に来る機会がありましたら、是非ここに立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
最後に訪れたのが旧大阪商船の建物です。 ここは文化庁の登録有形文化財に指定されています。今現在は北九州市の所有となっています。とてもモダンな外見です。屋根には8角形の塔屋が設けられており(これはデザインではなく当時は灯台の役目も果たしました)さらにレンガを部分的に配置していて、当時としては実にモダンな建物であったはず。 l今では「異国情緒にあふれた」と言えばぴったしくる感じの建物です。当時は大陸航路(主に中国)の出発地でもあり、ここ(待合室として利用された)から旅行する人々で賑わったことでしょう。
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