本日はちょっと早めに起きて松阪の街をぶらりと1時間ほど散歩しました。 相変わらずの蒸し暑さに汗びっしょりとなってしまいましたが、知らない街を歩くのはいろいろな発見があってとても楽しみなことです。 ホテルから20分くらい歩くと松阪商人の館というのがありました。
ここの建物にはうだつ(うだち)が付いています。 私たちも何気なく普段の生活の中で“うだつが上がった”とか使いますが、実はこの言葉はここから出てきたものだそうです。 そもそも、うだつとは江戸時代の民家の屋根の両側につけられた小屋根つきのの袖壁のことで本来は防火のために作っていたもの。 ただ、これを作るにはかなりの費用がかかってくるので、一般庶民にはなかなか建てられなかったようです。しかし、商売で成功し、うだつ付の豪邸を建てた人に対して“うだつがあがった”などと言ったのがこの言葉の始まりだったようです。
次に行ったのが松阪城址です。築城は天正16年(1588年)で蒲生氏郷が建てました。
当時の本丸には三層の天守がありとても立派な城であったようです。今はその面影は全くなくコケが蒸した石垣が残っているのみです。しかし、高台から眺める松阪の町並みはすばらしいものでした。
ここの建物にはうだつ(うだち)が付いています。 私たちも何気なく普段の生活の中で“うだつが上がった”とか使いますが、実はこの言葉はここから出てきたものだそうです。 そもそも、うだつとは江戸時代の民家の屋根の両側につけられた小屋根つきのの袖壁のことで本来は防火のために作っていたもの。 ただ、これを作るにはかなりの費用がかかってくるので、一般庶民にはなかなか建てられなかったようです。しかし、商売で成功し、うだつ付の豪邸を建てた人に対して“うだつがあがった”などと言ったのがこの言葉の始まりだったようです。
次に行ったのが松阪城址です。築城は天正16年(1588年)で蒲生氏郷が建てました。
当時の本丸には三層の天守がありとても立派な城であったようです。今はその面影は全くなくコケが蒸した石垣が残っているのみです。しかし、高台から眺める松阪の町並みはすばらしいものでした。
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